Appleと私

歴史を切り拓いてきたJobs死去によせて。

自分はApple教信者とまでは行かないが、1ユーザーとしてApple製品を非常に気にいっている。

最初に購入したApple製品は、Macintosh SE/30。1990年代初めの頃。当時はまだNECのPC98が全盛で、EPSONのコンパチ機があった時代。ほとんどのパソコンがMS-DOSで動いており、Microsoftのwindowsがでる前の話。

こんな時代に、Appleに初めて会ったときの衝撃はすごかった。キーボードからコマンドで命令するのではなく、マウスでクリックして操作する。目の前のファイルを捨てたければ、マウスでつかんでゴミ箱に捨てる。画面はWYSWIG。マウスでなぞったとおりに、絵や図形が画けて、その通りに印刷される。今では普通にあたりまえで何がすごいのといわれそうだが、当時のパソコンのイメージを180度ひっくり返すくらい、初めて見たときの衝撃はすごかった。

それ以来、10台を超えるAppleパソコンを購入し、結果的に100万円を超えるお金をApple社に捧げてきた。

カラフルなiMac、Walkmanを過去へと追いやったiPod、“全ての人の手のひらの中にパソコンを”を実現したiPhone、時代を先取りしたiPad、すばらしい作品を生み出してきた。

Jobsがすごかったのは、単なる技術屋でもなく、また企業人でもなく、エンドユーザーを本当に満足させる商品とは何かを知っていたことで、それを実現したことにある。

JobsやAppleの仕事についてよく言われることに、「Appleの仕事は決して最先端ではない。既に発表された技術を寄せ集めている。」というものがある。これこそ、技術屋の勘違いを表していることで、最先端で高度で新開発の技術と、エンドユーザーが欲しいと思うものは決して一緒ではない。最先端で高度で新開発の技術がすばらしいと思うのは技術屋だけで、エンドユーザーにとってはそんなことはどうでもいい。

逆に、垢抜けない技術がAppleを通り抜けると洗練されたすばらしいものに変わる。このあたりの感じはFeelingといってもよく、口では説明できない。本当にすばらしい感性だった。

残念ながら、これほどのイノベイターは、しばらくあらわれないであろう。

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