[電気仕掛けの箱庭]アクセスプロバイダと契約する(95年)

[ここ「ラボ」ができる前(2000年頃)、メモ代わりに運用していた「電気仕掛けの箱庭」の記事を移転・一部現在にあわせて改変。]

さて、個人的に自宅からアクセスするためにはじめてプロバイダと契約することになりました。95年頃のことです。個人でプロバイダと契約しようと思い立った理由はいくつかあったんですが、大学に行かなくてもネットにアクセスできる。ホームページを作ってみたかった。メールアドレスが欲しかった。純粋に技術的な興味。などなど。

大学に行かなくてもネットにアクセスできれば便利だし、この頃、大学でできたのはメールとホームページを見ることだけだったので、ホームページを作ってみたければプロバイダと契約するのが一番手っ取り早く簡単。また、大学のメールアドレスは卒業すると使えなくなるという心配もありました。

この頃は今のような、プロバイダ乱立、価格サービスによる過当競争などは予想もしませんでしたから、プロバイダは一度契約したら、一生ものと思っていました。だから、メールアドレスも卒業や転居に関係なく使用できるので、民間のプロバイダは便利なもの、と思っていました。そのために、全国にアクセスポイントがある(厳密には、展開すると宣言していた)RIMNETと契約したのでした。

当時は、まだ全国展開しているプロバイダはほとんどなく、90年代はじめに関東エリアではBEKKOAMEが一般ユーザ向けプロバイダ事業をはじめたばかりでした。RIMNETも94年頃でき、1万人限定とうたってユーザを募集を開始していた頃です。無料サービスでもないのに、人数限定というのは、今ではほとんど考えられませんが、当時は、まだまだインターネットが始まったばかりと言うことで、インフラや機器の問題もあって、このような形となったのでしょう。

また、ローカル(地域限定)でサービスをはじめるプロバイダもちらほら出始めた頃です。RIMNETに限らず、この頃の回線は全体に細く、ウェブページとかの重いこと。企業とかのように、いっぱいお金を払って高価な専用線サービスを利用するなら、そんなこともないのでしょうが、割安の一般向けプロバイダサービスなんて、どこも重いのは同じ。おかげで、ネット上の話題は、どこのプロバイダが軽くてどこのプロバイダが重いかの話題で持ちきり。今でも、テレホーダイの時間に重たくなるならないなどの話題が、時にでますが、当時はテレホーダイサービスもなかったので、純粋にプロバイダの重さの話だけ。

軽くて速いという噂がネットに流れると、みんながそのプロバイダと契約したり、プロバイダを変更したりするといった現象が結構見られました。それで人が殺到すると、その影響で重たくなってしまったりと、笑い話のようなこともありました。

で、契約したのはしたのですが、最初は悪戦苦闘。この頃のRIMNETの回線形態がちょっと特殊だったこともあるのですが、パソコン通信をはじめた頃と同じで、パソコンの設定で一苦労。今で言う光やWIFI、DHCPではなく、またそれ以前の電話回線を使ったダイアルアップ接続とも違う形態で、まあ、全国展開して、各地にアクセスポイントができるまでの経過処置だったんですが、 結構複雑で苦労しました。ダイアルアップ接続用のアクセスポイント(電話番号がある)は東京だけで、それ以外の地方からアクセスする場合、最寄りのアクセスポイントに電話をかけ、そこからパソコン通信用のラインを利用して、LAN接続で東京のポイントに接続、そしてPPP接続してインターネットの世界に接続という、それはそれはややこしい接続の仕方。今思うと、よくまあそんな利用方法を採ったものだと笑い話のような感じ。 パソコンの設定は一度、安定した設定が出来れば、その後は問題ないのは今と同じですが、そこに至るまでが大変。それはそれは、ホントに四苦八苦でした。

それでも、全国展開しているプロバイダが他になかったので、選択肢は他になし。当然、@NIFTY、INFOWEB、BIGLOBE、SO-NET、ODN、OCNなんか影形もない頃です。でも、今と同じ様な、接続方法が最初から使えたとしても、設定に苦労したでしょう。なぜなら、今のように、パソコンにあらかじめ、接続パックが入っているわけでもなく、モデムの設定もなかなか癖があって、結局は、自分のパソコンに最適な安定した設定を探さなければ行けなかったのは同じことでしたから。きつかったのは、近くにノウハウを聞く人が全くいなかったことですね。

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