[電気仕掛けの箱庭]95年当時のホームページを取り巻く環境

[ここ「ラボ」ができる前(2000年頃)、メモ代わりに運用していた「電気仕掛けの箱庭」の記事を移転・一部現在にあわせて改変。]

今ではすっかり、市民権を得たインターネットやメール、ホームページの言葉。この中で、ホームページという単語が一番新しい。どこぞの偉い研究者(おそらくヨーロッパの某国)がHTTP(ホームページ用のネット送信用プロトコル)を開発提唱し、実験を始めたのは、90年代に入ってからだと思う。

日本で最初にホームページが出来たのはいつだったか正しくは知らないが、おそらく92年頃。その後、ホームページ数は右肩上がりに増えていくのだが、最初の数年は遅々とした増加具合であった。

95年頃のホームページは、持っているだけで、ステイタスになった時代。そのため、企業とかがページを持ち始めた頃だったが、会社案内パンフの域を出たものは少なく、ほとんどが会社案内パンフみたいなもの。ひどいものは、会社案内パンフをスキャナで取り込み、そのままでっかいサイズの画像を“ドン”とおいてあるだけのページとか、いっぱいありました。利用人口自体が少ないため、アクセスする人も少ないわけで、あまり問題にならなかったというのも、一因だったかもしれません。回線自体も細く、まだ、あまり実用的ではなかったです。当時のネット人口は、約100万人、サービス開始後一年のNTT DOCOMOの携帯情報端末i-modeのユーザー数より少なかったわけです(サービス開始後一年の2000年には、i-modeユーザーは500万人)。とにかく、この頃は、クールなページであることが重要なのではなく、ページを持っていることが重要だった時代です。

一般個人向けのプロバイダができる前は、日本全国のホームページへのリンク集は、数ページで収まってしまいました。これは、企業(ほとんど電子機器メーカー)や大学しか持っていなかったためです。このリンク集は、たしか、サン(UNIXメーカーのSUN)の日本法人のサイトにあったと思うが、よく利用しました。その後、個人ページが増加するにつれて、このような企業がちょっとしたサービスで提供するリンクページから、YAHOO!などの、専門のディレクトリー一覧サイトが成長を始めます。YAHOO!の日本語版ページが出来たのが、95年ではなかったかと思う。94年から95年にかけてが個人のホームページが出始めた頃で、現在のような百花繚乱の元になった時代です。

そんなホームページの黎明期がこの頃です。

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